子どもの頃、母と一緒に訪れた山梨のラベンダー畑。
その香りに包まれながら、母がぽつりと「この花、あなたのことを”沈黙の愛”って言ってるのよ」と微笑んだ。
その一言が、私の”花と言葉”への旅の原点でした。
花言葉──それは単なる花の解説ではありません。
人の想いが幾重にも折り重なった、もうひとつの言語なのです。
今日は、辞典には載らない花言葉の世界へ、一緒に旅をしてみませんか。
花言葉の起源と変遷
古代から現代へ──言葉を持たない花のメッセージ
花言葉の始まりは、17世紀頃のトルコ(オスマン帝国)。
「セラム」と呼ばれる風習がありました。
恋人への想いを、文字や言葉ではなく、花に託して贈る──。
当時の人々は、小箱に花や果物、絹糸などを入れて、気持ちを伝えていたのです。
まるで、言葉にできない想いを花が代弁してくれるかのように。
西洋と東洋、異なる文化が紡いだ意味の糸
1819年、フランスでひとりの女性が画期的な本を出版します。
シャルロット・ド・ラトゥールの『花言葉(Le Langage des Fleurs)』。
これが世界初の花言葉辞典でした。
彼女の命名手法は、大きく2つに分けられます。
ひとつは、観察重視の姿勢。
ブラックベリーを見て「人目を避けるように生え、口に含むと苦さだけが残る」と観察し、「嫉妬」という花言葉を付けました。
もうひとつは、文化史重視の姿勢。
古代ギリシャの伝統から月桂樹に「栄光」を、聖書の記述からオリーブに「平和」を。
この本は瞬く間にヨーロッパ中で評判となり、18版を重ねるベストセラーに。
花言葉という文化が、世界へと広がっていったのです。
花言葉に影響を与えた文学と風習
日本に花言葉が伝わったのは、明治初期のこと。
最初は西洋の花言葉をそのまま使っていましたが、やがて日本独自の感性が加わり始めます。
与謝野晶子は、紫苑(しおん)を見て詠みました。
「紫苑咲くわが心より上りたる煙のごときうすいろをして」
また、夏椿については──
「沙羅双樹しろき花ちる夕風に 人の子おもふ凡下のこころ」
日本の花言葉には、和歌や俳句、そして仏教思想が色濃く反映されているのです。
忘れられた、あるいは知られていない花言葉
辞典に載らない「口伝えの花言葉」
実は、花言葉には「正解」がありません。
同じ花でも、国や地域、時代によって全く違う意味を持つことがあるのです。
そして今も、新しい花言葉が生まれ続けています。
たとえば、新品種が開発されると──
開発者が想いを込めて花言葉を付けることもあれば、販売会社が消費者から募集することも。
花言葉は、生きている言葉なのです。
地域や家族に伝わる独自の解釈
私の祖母は、庭に咲く山茶花(さざんか)を見ると必ず言いました。
「この花はね、”待つ喜び”っていう意味があるのよ」
辞典で調べても、そんな花言葉は載っていません。
でも祖母にとっては、戦地から祖父が帰ってくるのを待った日々の記憶と重なる、特別な意味だったのでしょう。
花言葉は、誰かが決めた「正解」ではなく、私たちが紡いでいく物語なのかもしれません。
現代に響く、再発見された言葉たち
最近では、SNSで新しい花言葉の解釈が生まれることも。
たとえば、かすみ草。
従来は「清らかな心」「無邪気」という花言葉でしたが、最近では「感謝」という意味で使われることが増えています。
花束の脇役だったかすみ草が、「あなたがいてくれて、私が輝ける」という感謝の想いを表す花として、再発見されているのです。
感情を託すための花選び
「ありがとう」では伝えきれない時に
言葉にすると軽くなってしまう感謝の気持ち。
そんな時は、花に託してみませんか。
濃いピンクのバラには「感謝」の花言葉があります。
でも、単に「ありがとう」というより、もっと深い意味が込められています。
「あなたがいてくれたから、今の私がある」
そんな、存在そのものへの感謝を表現できるのです。
悲しみや祈りをそっと伝える花
人生には、悲しみを分かち合いたい時があります。
アリウムの花言葉は「深い悲しみ」。
紫色の球状の花が、まるで涙を堪えているように見えることから付けられました。
でも、この花には別の顔もあります。
「悲しみを共有することで、少しずつ前を向いていこう」──そんなメッセージも込められているのです。
スカビオサは「私はすべてを失った」という重い花言葉を持ちます。
でも、その可憐な姿は、悲しみの中にも美しさがあることを教えてくれます。
恋心、未練、赦し──言葉にできない感情たち
恋愛の感情ほど、言葉にしづらいものはありません。
チョコレートコスモスの「恋の終わり」。
深い赤茶色の花が、甘い香りとともに、切ない想いを代弁してくれます。
ヒヤシンスには「許してください」という花言葉が。
ギリシャ神話の悲恋が由来ですが、現代でも謝罪の気持ちを伝える時に使われます。
そして、紫のクロッカスの「愛したことを後悔する」。
でも、後悔もまた、愛の証なのかもしれません。
花と言葉と心のセラピー
花を贈ることで自分も癒される理由
フラワーセラピーという言葉をご存知でしょうか。
花の色、香り、形が五感に働きかけ、心身のバランスを整える心理療法です。
実は科学的にも、その効果が証明されています。
ある研究では、バラの花を見た人は──
副交感神経の活動が29%上昇し、リラックス状態になることが分かりました。
花を贈る時、私たちは相手だけでなく、自分自身も癒しているのです。
香りが記憶と感情をつなぐしくみ
花の香りは、脳の大脳辺縁系に直接働きかけます。
ここは感情や記憶を司る場所。
だから花の香りを嗅ぐと、一瞬で過去の記憶が蘇ったり、感情が動いたりするのです。
バラの香りを10分間嗅ぎ続けると──
嗅覚疲労で香りは感じにくくなりますが、脳の鎮静化は続くことが分かっています。
香りは、意識を超えて心に働きかけているのです。
フラワーセラピストの視点で見る”花の処方箋”
色にも、それぞれ心理的な効果があります。
黄色い花は集中力をアップさせる効果が。
在宅ワークが増えた今、デスクに黄色い花を飾る人が増えているそうです。
青い花は心を落ち着かせ、冷静な判断を促します。
大切な決断の前に、青い花を見つめてみるのもいいかもしれません。
花は、私たちの心の状態に合わせて選ぶ”処方箋”になるのです。
花言葉を自分の言葉にする方法
花の背景を知ることで生まれる新たな意味
花言葉を深く理解するには、その花の物語を知ることから始まります。
なぜその花言葉が付けられたのか。
どんな神話や伝説が背景にあるのか。
物語を知ると、花への愛着が深まり、自分なりの解釈が生まれてきます。
詩やエッセイに綴る”わたしだけの花言葉”
日記に、今日出会った花のことを書いてみませんか。
「駅前の花屋で見つけた白いトルコキキョウ。
『優美』という花言葉だけど、私には『静かな決意』に見えた」
そんな風に、自分の感性で花を読み解いていく。
それが、あなただけの花言葉になっていきます。
花のある日常から感じ取る、小さな感情の機微
毎週、花を買う習慣をつけてみると──
不思議なことに、その時の心境に合った花を無意識に選んでいることに気づきます。
元気がない時は、なぜか赤い花に手が伸びる。
穏やかな気持ちの時は、白い花を選んでいる。
花は、私たちの心の鏡なのかもしれません。
まとめ
花言葉は、感情の”もうひとつの言語”です。
17世紀のトルコから始まり、フランスで体系化され、日本で独自の発展を遂げた花言葉。
それは今も、私たちの心に寄り添い続けています。
言葉にならない想いがある時──
伝えたいけれど、うまく表現できない時──
そんな時は、花に託してみてください。
花は必ず、あなたの想いを受け止めて、そっと相手に届けてくれるはずです。
今日も誰かが、花とともに心の手紙を届けています。
あなたも、その一人になってみませんか。